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平海(ピンハイ、PING HAI)は、中華民国海軍の軽巡洋艦〔#第3391号p.6『平海概略書』〕。寧海級巡洋艦の2番艦。日本軍に鹵獲され、1944年(昭和19年)6月に「八十島」(やそしま)と改名されて再就役した〔#S19達6月p.1『昭和十九年六月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 海防艦 五百島(イホシマ)(舊艦名寧海) 海防艦 八十島(ヤソシマ)(舊艦名平海)』〕。9月下旬には二等巡洋艦に類別変更され〔『内令第一一〇九號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年九月二十五日 海軍大臣 軍艦、巡洋艦二等大淀型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ| |八十島| 海防艦ノ部中「、八十島」ヲ削ル』〕、大日本帝国海軍の軍艦となった〔『達第三一九號 海防艦八十島艦種變更ニ付左ノ通命名ス 昭和十九年九月二十五日 海軍大臣 軍艦 八十島(舊海防艦八十島)』〕。 == 艦歴 == === 平海 === 上海の江南造船廠で1931年に起工された。艤装工事は日本の播磨造船所で1935年(昭和10年)10月30日から1936年(昭和11年)6月18日にかけて行われ、同年竣工した。 日中戦争中の1937年(昭和12年)7月15日、本艦は上海市を出港して揚子江上流へ向かう〔#揚子江方面作戦(1)p.1『七月一五日支那軍艦平海上海 出港遡江』〕。8月22日、空母「龍驤」艦載機を対空砲火で撃墜する〔#高松宮日記2巻556頁『八月二十三日晴。〇八〇〇軍令部。一四三〇皈。(略)九、「龍驤」の艦上爆撃機ならむ一機、二十二日「平海」の第三高角砲にて撃墜せしめらる。日本製のH.A.〔高角砲〕でやられたわけなり。之が始めてか。』〕。 9月中旬、中華民国艦隊(平海、寧海、応瑞、建康)等は揚子江中流の江陰要塞に停泊していた〔#木俣空母53頁『シナ第一艦隊(江陰要塞にあり)』〕。9月20日、第三艦隊司令長官長谷川清中将(旗艦「出雲」)は、空母「加賀」(第二航空戦隊)および第二連合航空隊(上海飛行場駐留)に攻撃を下令する〔#木俣空母52頁『シナ巡洋艦撃沈(九月二十一~三日)』〕。 9月22日午前中、まず連合航空隊の九二式艦上攻撃機12機(60kg爆弾搭載)が水平爆撃を敢行し、「平海」に損害を与えた〔#木俣空母53頁〕。午後、加賀攻撃隊(九六式艦上攻撃機7機、30kg爆弾搭載)が水平爆撃を実施、2隻(平海、寧海)に小規模な損害を与えた〔。「平海」は上流の南京へ脱出を図ったが、9月23日、再び連合航空隊と加賀航空隊(九四式艦上爆撃機8、九六艦攻8、九六式艦上戦闘機4)の波状攻撃を受ける〔#木俣空母54頁〕。攻撃を受け「平海」は鎮江上流の揚子江沿岸で、擱座、着底した〔〔#第2連合航空隊戦闘詳報p.10『(艦名)平海』〕。同方面の中華民国海軍艦艇も撃破されて戦闘力を喪失〔#第2連合航空隊戦闘詳報pp.9-10『四.成果 数次ニ亘ル當隊飛行機並ニ他部隊飛行機ノ攻撃ノ結果江陰方面敵艦艇ハ凡テ擱座若クハ大破シテ戰闘力ヲ喪失シ○ニ残存砲ヲ陸揚スルニ至リ海軍兵力トシテ機能ヲ喪失セリ』〕。本戦闘を最後に「加賀」は第一航空戦隊(龍驤、鳳翔)と任務を交代、佐世保に帰投した〔。 その後「平海」と「寧海」は日本軍により鹵獲〔。1938年(昭和13年)に浮揚され佐世保に曳航された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平海 (巡洋艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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